丸山は標高250m、比高約70mの小山で、東に郡上街道が走る交通の要衝でした。丸山砦は42m×24mの小規模な城郭で、居住空間が全く存在しないこと、構造が単純な縄張りで防護力に乏しいことから、立て篭って篭城する類の砦ではなく、見張り所・繋ぎの城としての性格を持っていたものと考えられています。また、長良川の上流から、深戸城、丸山砦・鶴尾山城・高原城・下田城があり、いずれも1km程の間隔で設置されており、鶴尾山城を中心とした支城ネットワークが構成されていたものと思われます。永禄2年(1559年)遠藤盛数(鶴尾山城主)は打倒東氏を掲げて東殿山城を攻め、東氏を滅ぼしました。この戦いの時に、鶴尾山城周辺は一時的ながらも軍事的緊張が高まりました。そのため支城ネットワークを整備し、領土防衛を強化することが必要とされ、丸山砦が築城されたそうです。丸山砦の使用期間は極めて短く、東氏が滅び軍事的緊張が緩和されてからは丸山砦存続の必要性もなくなり、短期間で廃城になったそうです。