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蛭(ひる)封じ・雷封じ(木尾・洞泉寺)
藤原高光像
(粥川・星宮神社蔵)
木尾には、円空が蛭や雷を封じたので、田や山へいっても蛭は食いつかず、雷が落ちないという伝承と、その封じ物が洞泉寺にあります。封じ物は竹の皮で包んだ直径5cmほどの版画用バレン状のものです。これについて、同寺の前住職が、「円空上人自刻木像ノ世ニ出ルマデ」に書いています。 「ワタシガ、昭和二十二年七月、コノ洞泉寺ニ来テ間モナク 1,コノ村ニハ円空サンガアルカラ、絶対ニ落雷シナイ。 2,昔ノエライ坊サンガ、百姓ガ田デ働ク時、ヒルニスイツカレテ難儀スルヲアハレミ、ヒルヲ封ジテ下サッタ。ソレダカラ木尾ノタンボニハ、ヒルガイクラ居ッテモ人間ニハ決シテ食ヒツカナイ、トイフコトヲイテ居タ。 昭和三十六年一月三日、年頭ニミタ円空サンノ台(小箱)ニハ、円空サンガヒルヲ封ジタノト、雷ヲ封ジタノト二ツ入ッテイル。先年倶楽部(庚申堂を改造したもので、集会場になっている)デ村中寄合ノアッタ時、アル人ガ、ホントカウソカタメシテミルトイッテ、ソノ中ノ一ツ(少シ厚イ方)ヲ開イテ見タラ、ヤッパリヒルガ紙ニ包マレテハイッテイタ。ソレヲ元ノママニシテオイタ。モウ一ツ(ウスイ方)ニハ雷ガ封ジテアルヤウダ。コレヲ改メテカラ山ヒルハ大ソウフエテ難儀スル」とあります。
円空洞
粥川右岸沿いの道路から、約500m入った坊主洞の行きついたところにあります。谷よりの高さ約5m、間口2m、奥行き4m、奥の高さ約70cmです。洞穴の右奥に断崖(約10m)があり、小さな滝があります。円空はこの洞穴で修業したと伝えられています。
円空岩
県道より川干谷沿いの林道を約2km入ったところにあります。川干谷の左岸にある大岩石で、その大きさは横約8m・縦約6m・東南方向に約30度傾いています。岩石の下は、間口約5m・奥行き約6m・高さ約1.5m・奥の高さ約50cmで、奥の両側は、岩石や土砂囲まれています。この岩石の下で円空は仏像を刻んだが気に入らないと川へ流したという承があります。又、この岩の上流にトチハカリという岩石があり、村人が栃の実をわけたといわれています。その上流に木地師屋敷跡があり、更に登っていくと瓢ヶ岳です。
円空岩
浮き木仏
不動明王
(下田・愛宕社蔵)
観音菩薩
(苅安・林広院蔵)
薬師如来立像(現在苅安林広院にある)は、三日市・薬師堂の薬師さんとして親しまており、円空仏として騒がれる前までは、三日市の子どもたちの遊び相手でした。夏になると水遊びの浮き木の役目をさせられたとのことです。前面のあちこちに小さな傷があるのは、子どもたちの相手をしたためであり、又、背面の一部が焦げているのは、たき火のためだといわれています。
焼き仏
明治26年8月22日〜23日の長良川大洪水の時、上流から下田の船着場に流れ着いたものです。船着場から流れ去らないので、引き上げることにして、トビを打ち込むと血が流れたので驚いた人々は、「たたりがあるといけないから流してしまおう」「流れていかないのは何かの縁があるのだから引きあげよう」と意見が分かれたが、結局上げることになりました。そして、下田・薬師寺境内にお堂を建ててまつったのです。焼けていたので、「焼け仏」といわれていましたが、そのころはまだ顔形がわかったということです。血が流れたというのは、ケヤキ材の赤目のところへトビを打ち込んだためであろうと言われています。 大正3年、ローソクの火からお堂が焼け、焼け仏が更にひどく焦げて現在の状況になりました。この仏は、「火を呼び込む仏」だからということで建物と離れた所にお堂を建て現在に至っています。黒焦げで、手を触れることもできないが、像容等から、昭和48年8月に円空仏として確認されました。
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